チョコレートって漢字ではどうやって書くの?
チョコレートって日本語の呼び方「和名」ってあるの?
チョコレートはいつ日本に入ってきたの?
日本でチョコレートを最初に販売したのはどこなの?
今回は、このような疑問に答える内容になっています。
この記事を読んでいただくことで「チョコレートの漢字の書き方」や「日本とチョコレートの関係」について知ることができます。ぜひ最後まで読んでくださいね。
それでは早速みていきましょう。
チョコレートは漢字でどのように書く?
チョコレートを漢字で書くと「猪古令糖」「貯古齢糖」「千代古齢糖」と3つの書き方があります。
なぜ、チョコレートはこのような漢字で書かれるのでしょうか。その理由は、1878(明治11)年にまで遡ります。
1878(明治11)年に日本で初めてチョコレートを加工製造・販売をしたのが、東京の両国で営業していた米津凮月堂(現在の東京凮月堂)です。
米津凮月堂がチョコレートの販売をするにあたり新聞に広告を出しました。そのときにチョコレートにあてられた漢字が「猪古令糖」「貯古齢糖」「千代古齢糖」でした。
なぜこれらの漢字が選ばれたのかは分かりませんが……。
結論として、チョコレートを漢字で書くと「猪古令糖」「貯古齢糖」「千代古齢糖」ということになります。
チョコレートを日本語で和訳した「和名」は?
先ほど紹介したチョコレートの漢字は、あくまでも「チョコレート」という言葉に漢字をあてたものです。それでは、チョコレートを日本語に訳した「和名」はあるのでしょうか。
残念ながら、チョコレートの和名はありません。
チョコレートの語源には様々な説がありますが「ショコラトル」という飲み物がチョコレートの語源とも言われています。「ショコラトル」にはどのような意味があるのかが分かっていないので、日本語で表すのは難しいのでしょう。
チョコレートが日本に入ってきた頃は「しょくらあと」と表記されていたそうなので、あえて和名をつくるならば「しょくらあと」はいかがでしょうか。
チョコレートはどのようにして日本に入ってきたのか
現在では甘いものが食べたいときの代表的な食べ物として人気のチョコレート。
コンビニやスーパー等で当たり前のように手に入れることができますが、チョコレートが日本に入ったきたのはいつ頃なのでしょうか。
日本にチョコレートが入ってきたのは、なんと江戸時代にまで遡ります。
その当時の長崎県の丸山町、寄合町には「寄合町諸事書上控帳」と呼ばれる貰い物を申告する帳簿がありました。その中に、遊女が貰った品物として「しょくらあと 六つ」という記録が残されています。
そのときの日本は鎖国されていましたが、オランダの商人が暮らしていました。その商人から遊女が受け取ったのではないかとされています。
これがチョコレートが日本に最初に入ってきた瞬間だと言われています。
現在の凮月堂はどんなチョコレートを売っている?
日本で最初にチョコレートの加工製造・販売をしたのは、先ほど紹介したとおり現在の東京凮月堂です。当時のチョコレートを購入することはできませんが、現在はどのようなチョコレートを販売しているのでしょうか。
実は、東京凮月堂ではチョコレートを販売していません。
知っている人もいるかもしれませんが、東京凮月堂の代表商品といえば薄焼きのせんべいでクリームを挟んだ「ゴーフル」や「ゴーフレット」です。
ゴーフルとゴーフレットの違いは、大きさです。大きい方がゴーフル、小さい方がゴーフレットです。
東京凮月堂のゴーフルは、バニラ・チョコ・ストロベリーの3つの味が基本です。さらに限定の味として「りんご」「メープル」「きなこ」「ラズベリー」「ラ・フランス」が出ることもあるので要チェックです。
期間限定商品も含めて様々な味が楽しめる東京凮月堂のゴーフルをまだ食べたことがない人は、ぜひ食べてみてくださいね。季節の贈り物としてプレゼントしても喜ばれますよ。
まとめ
今回は「チョコレートの漢字は?日本語に和訳された『和名』はあるのか」と題して、チョコレートの漢字の書き方や日本とチョコレートの関係について紹介してきました。
チョコレートは漢字で「猪古令糖」「貯古齢糖」「千代古齢糖」と3つの書き方があり、和名はありませんでした。
日本に最初にチョコレートが入ってきたのは江戸時代のことで、初めにチョコレートの加工製造・販売をしたのは、現在の東京凮月堂だということを知っておいてくださいね。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。